本気とは確信と希望である-「市民科学者として生きる」感想

市民科学者として生きる

原発・放射能問題に取り組む団体へ寄付を行っているところとして、NPO法人高木仁三郎市民科学基金を時々目にします。高木仁三郎とは、かつては原子力の研究に携わっていましたが、色々な矛盾を経験するにつれて、市民の目線にたった活動を行うようになり、ついには大学を飛び出して原子力資料情報室をたったひとりで作った方です。

私はこれまで、「市民科学者」という言葉さえも知りませんでしたが、その意味や著者である高木仁三郎という人物に興味をひかれ、本書を手に取りました。本には、市民科学者の定義は明記されていませんでしたが、著者の人生を通して、市民科学者とは何かという問いへのひとつの答えをみることができます。原子力の研究に携わり将来安泰とされていた著者が、生涯にわたって反原発を志すようになった原動力は、何かに反対したいという欲求ではなく、よりよく生きたいという希望でした。

それでは以下に、気になった箇所と私の考えを述べていきます。

スポンサーリンク

出会いと決意

 実験科学者である私は、私もまた象牙の塔の実験室の中ではなく、自らの社会的生活そのものを実験室とし、放射能の前にオロオロする漁民や、ブルドーザーの前にナミダヲナガす農民の不安を共有するところから出発するしかないだろう。大学を出よう、そう私は心に決めた。
(p124)

著者がこの決断にいたるには、成田空港の建設に反対する農民の高い志と、宮澤賢治の詩や童話に描かれる理想主義の、二つの大きな出会いがありました。象牙の塔の科学者ではなく、市民科学者としてのはじめの一歩として、たったひとりで原子力資料情報室を立ち上げました。

その直後、美浜原発やスリーマイル原発、チェルノブイリ原発で立て続けに事故やトラブルが起こり、日本での反原発活動も大きくなっていきます。著者自身も、その中心人物として、時に迷いながら、時に嫌がらせを受けながら、様々な活動に身を投じていきます。

今まで歩んできた道と大きく異なる選択をしたことは、並々ならぬ思いがあったと思われます。著者自身も、大学を退職する決断は、考えに考えぬいたつもりでいても、衝動的でもあったとしています。そのため、メディアなどに大学を辞めた理由を問われると、毎回違う回答をしていたそうです。

大きな決断の最終的な決め手は、理屈ではなく感情なのかもしれません。私が著者に興味をひかれた理由も、最初から市民科学者を目指していたのではなく、原子力の研究を行っていたにも関わらず180度方向転換をするという、その決断力にあります。

本気

本気ですれば
大抵のことができる
本気ですれば
何でもおもしろい
本気でしていると
誰かが助けてくれる
(p221)

この「本気」を、もう少し分析していくと、確信と希望ということに尽きると思う。

この確信と希望は、無数ともいえる人々との出会いから生まれた。私が何程のことをしたという積りはないが、支え励まし助けてくれた人の多さと質とでは、誇れるものがあるだろう。
(p222)

著者は、友人からもらったこの詩をベッドの正面にかかげ、多くの困難を「誰かに助けられて」乗り越えてきたそうです。
著者は、自らの行為を無謀でひとりよがりな試みと表していますが、今ある生活、特に出世が約束されている生活をガラリと自ら変えることは、なかなかできません。力の出し惜しみをせず、常に本気で取り組んできた著者の姿勢が、多くの人の共感と応援をひきよせたであろうことは、想像に難くありません。

あきらめでよりも希望を

「市民の科学」がやるべきことは、未来への希望に基づいて科学を方向づけていくことである。未来が見えなくなった地球の将来に対して、未来への道筋をつけて、人々に希望を与えることである。
(p256)

アカデミズムの内側と外側にある大きな壁を打ち破っていくことで、市民の側の未来への意欲=希望が、もっと広く科学者や諸テクノクラートたちに影響を与えていくことができるかもしれない。いや、その点にこそ、私は、「あきらめから希望へ」の転換の大きな可能性を予見したい。
(p257-258)

2011年の原発事故後は、情報の伝え方をめぐって、市民と政府・専門家との間に大きな壁ができたといえます。そしてそれは、政府やマスコミが発信する情報に対する信頼イメージを、一気に下げてしまいました。もし、市民と専門家の壁を越えて、情報の橋渡しを適切に行える人がいれば、今とは違う結果になっていたかもしれません。今こそ、市民科学者が求められているのかもしれませんね。

(2013/4/12追記)
私の独断と偏見ではありますが、現在「市民科学者」と呼べる方は、「専門家」がなかなか調査を行わないなか、専門分野ではないにもかかわらず有志を募って真っ先に様々な調査を行い、福島や日本の現状を日本だけにとどまらず世界にも発信し続ける、東京大学の早野教授らが思い浮かびます。論文発表だけではなく、原発事故の直後から、CRMSやベクミルなど多くの市民測定所へ助言されていた点も忘れられません。

haniwaのヒトコト

北海道には、35年もの間、泊原発の海水温を測定し続けている斉藤武一さんがいらっしゃいます。福島原発事故が起こってしまった現在、反原発や放射能測定などの活動が日本全国で起こっていますが、一過性のブームや感情論で終わることなく、斉藤さんのような息の長い活動が続くことを願っています。

スポンサーリンク