努力は報われる-「僕はミドリムシで世界を救うことに決めました」感想

僕はミドリムシで世界を救う

2012年12月の株式上場以降、驚異的な株価上昇をみせ、話題をさらった株式会社ユーグレナ。今回手に取った本は、その会社の社長である出雲充氏が書いた自らの軌跡でした。東大発バイオベンチャーと聞けば、どうせストレート勝ちでしょ、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、(株)ユーグレナの成功の裏には、ミドリムシの大量培養技術の確立や、ライブドアショックによる取引先の消失、地を這うような地道な営業など、多くの危機から這い上がったあきらめないハートと良い仲間との出会いがありました。

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あきらめずに得意の分野で1番を目指す

この本で僕が語りたいのは、「どんなちっぽけなものにも可能性があり、それを追い求めていけば、やがてその努力は報われる」ということの、僕なりの証明だ。
(pⅲ)

自分が「この分野、この領域で勝負する」と決めたら、その中で必ず1番を目指すこと。これが僕が、ベンチャーの経営に関してアドバイスできる唯一のことだ。
(p219)

特定の狭い分野で偏執的に追及していけば、誰でも必ず1番になれます。追い詰められた時でも、自分が一番だったら逆境を跳ね返す力が湧いてきますと著者は述べています。
私もかつて、学生時代の合唱部や、理系素材サイトなど、すごくニッチないくつかの分野で一番をとってきましたが、1位と2位のモチベーションは確かに違います。仕事でも趣味でも、自分の好きな分野で1番を取ってみませんか?

発想の転換

「ミドリムシを天敵から守る環境をセッティングする」という発想から、「ミドリムシ以外は生きられない環境をセッティングする」という発想への切り替え。これが鈴木と僕が生み出したミドリムシ培養の切り札となるアイデアだった。
(p126)

著者達がミドリムシの大量培養を成功させたのは、発想の転換でした。私の経験でもそうですが、押してダメなら引いてみる、ではありませんが、どうしてもうまくいかない場合は、アプローチ方法を変えてみるとうまくいくかもしれません。逆に、ひとつの視点に固執しすぎると、気付かないうちに視野が狭くなり、落とし穴にも落ちやすい気がします。

問われる覚悟

イノベーションを起こす人間には、何かしら渡らなければならない川があるのではないか。ロジックではうまく説明できないのだが、いまでもそう思っている。
(p75-76)

(株)ユーグレナはかつてライブドアの出資を受けていましたが、ライブドアショックにより、ライブドアと関係があるだけで取引を拒否されていきました。そこで、ライブドアに出資を返還し、関係を絶つ事にしましたが、その金額はほぼ著者の全財産。振込額は明記されていませんが、振込み後に手元に残ったお金はわずか32万円でした。これは、(株)ユーグレナやミドリムシと生死をともにするという覚悟であり、著者の人生で、初めて自分の意思で、全身全霊を信じた道に賭ける決意だったのです。

拒絶されても諦めない

世の中で、一度「拒絶される側」に立つと、それが人をどれほど傷つけ、無力感を味あわせることになるのか、身に沁みてわかる。その気持は、「拒絶される側」に立ってみないと、決して理解することができない。
(p150)

相手に認められず、ふてくされる暇があるなら、四の五を言わずに、別の人を探して、とにかく一人でも多くの人に会う。またダメだったらすぐに次の人にアポイントをとる。そうして、会って会って会いまくっていれば、そのうち必ず聞いてくれる人が出てくる。
(p175-176)

ライブドアとの関係を絶った後も、残念ながら取引先は戻って来ませんでした。ミドリムシの大量培養成功によりできた製品もなかなか売れません。ですが、諦めずに多くの人に伝えていけば、響く人はかならずいます。チャンスは、与えられるのではなく、自ら作るものです。

ハイブリッドが大切

創業してからこれまでの7年を振り返って思うのは、日本は極端すぎる、ということだ。アントレプレナー文化が育たないのも、このあまりにも極端すぎる日本の空気のぶれ方があるのではないか、と思う。
(p203)

人類の進歩に資するテクノロジーには、「サイエンティフィカリーコレクト」(科学的な正しさ)と、「エモーショナリーアグリーメント」(感情的な共感)の両方が必要だということだ。
(p212)

めったに起きないと思われることを「確立ゼロ」と無視すると、人が抱く当たり前の感情である不安や恐れを見落としてしまい、その結果起こったことこそ、原発事故やサブプライム問題ではないか、と著者は言っています。逆に、科学的な思考を軽視して、「感情的な側面」だけに重きを置くのも問題です。

少々話が変わりますが、最近の話題として、先日4月11日、東大の早野龍五教授らによるひとつの論文(日本語抄訳はコチラ)がニュースになりましたが、これに対し「感情的な側面」だけで批判している人が意外と多い点が気になります。例えば、論文内容への建設的な意見や反論などではなく、著者らに対する感情的なバッシングなど。以前、この記事でも述べましたが、それは、生産者に「毒を作っている」と不満をぶつけるのと同じ、自らの考えを正しいと主張する排他的な意識が働いているではないでしょうか。そして、こういう方々は、早野教授らが、震災直後からCRMSやベクミルをはじめ、多くの市民放射能測定所に助言されている点を忘れてはいないでしょうか。人物そのものへの感情的なバッシングは、巡り巡って自らの首を絞めることにもつながります。

今回の論文はあくまでひとつの報告です。そのため、これで終わりと安心しきるのではなく、今後も、再現性の有無や発展研究、逸脱事例の調査など、できる事、やるべき事も沢山あります。そしてそれは、日頃から放射性物質の危機を訴えてきた方々にとって、学術的かつ公開の場で対等に語り合える大きなチャンスではないでしょうか。このようなチャンスをみすみす逃す手はありませんよ!

こんな現象をネットで見ているだけでも、確かに、日本は極端で感情的、と感じますね。私も偏りすぎないように気を付けないと。

haniwaのヒトコト

いち健康食品企業で終わるのではなく、世界を救うという大きなロマンを描き、それに向かって邁進される姿もカッコイイですね。今後が楽しみな会社のひとつです。文章も簡潔で分かりやすいため、企業を目指す方だけではなく、すべての方にオススメです。

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