対立より対話を-「みんなで決めた「安心」のかたち」感想

舞台となる千葉県柏市は、2011年の原発事故で「ホットスポット」となり、これまで地産地消を応援してくれた消費者も去ってしまいました。そんななか、心ある生産者・消費者・流通者・測定者が集まり、お互いの立場を尊重して意見をすり合わせながら、放射性セシウムの独自基準をつくり、自ら生産したものを自ら測定し販売するプロジェクト「My農家を作ろう」が始動します。

この本には、原発事故により壊れてしまった消費者とのつながりを、試行錯誤しながら結びなおし、さらに新たな価値をつくりあげていく記録が書かれています。そのカギは、立場の異なる人が、顔をつきあわせながら難度も議論し、少しずつ信頼関係をつくりあげたところにあるといえます。「My農家を作ろう」は、いち消費者としてはもちろん、放射能問題に悩む他の地域の参考になるばかりではなく、すぐそこまで迫っているTPPへの対策としても有効な示唆が含まれていると感じました。

それでは、以下に、文章を引用しながら感想を述べていきます。

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戸惑う生産者

ほとんどの農家もまた、自主的な測定やその結果の情報発信には踏みきれていなかった。彼らが恐れていたのは、消費者の視線だけではない。むしろ、周囲の農家の眼を恐れていた。自らの農場を計測し、仮に高い放射線量が検出され周知されたらどうなるか。それがネットを経由してマスコミに大きく報じられれば、その地域一帯の農業が滅ぶかもしれない。
(p025)

私の夫は農家ですので、柏市の生産者さんのこのような思いは、すごく分かります。

「出たら怖いから測らない」という考えの方は、北海道の生産者にも、農業・漁業問わず、確かにいらっしゃいます。また、私は、北海道の放射能情報を共有するプロジェクトを運営しており、ダンナが作る作物の放射性物質を外部委託により測定したことがあります。その時、各所が発表しているデータから「恐らく出ないだろう」と予測しており、幸い不検出でしたが、「もし出たらどうしよう」という思いはゼロだったわけではありません

北海道の生産者でさえもこのような思いです。いわゆるポットスポットである柏の生産者の立場だったら、測定自体を恐れるのも無理はありません。もし、私が、放射性物質の降下量が多い地域の生産者だったとしても、測定して汚染を把握したいという思いは変わらないでしょうけれど、測定結果の扱いには、きっと慎重になっていたでしょうね。

地域ぐるみで生んだイノベーション

消費者を巻き込んで行う放射能測定それ自体が、今まで農業に無縁だった市民がジモト野菜の魅力と農家の高い技術を知り、地域の農業の熱心なサポーターになっていくための、ささやかながらまたとない場になるのではないだろうか。
(略)
新しい価値はいつでも、異なる立場と目線の人たちが出会うことで発見され、創出される。放射能測定というネガティブなきっかけでさえ、地域を循環する新しい価値創出の機会になりうるのだということを確信できたときは、本当に嬉しかった。
(p063,064)
(略)
ひとたび変わってしまった消費者の行動を、ふたたび地産地消へと向けていくのはそう簡単なことではない。ここをひっくり返していくためには、目の前の問題への安心感を醸成することに加えて、ジモト農産物がもつ新たな価値の提示が必要だ。
(p074)

生産者でも、消費者でも、一方の立場で放射能を測定していたのであれば、ここまでのイノベーションは生まれなかったでしょう。もし、生産者に「毒を作っている」と不満をぶつけたり、利益を受ける測定者を「火事場で儲けている」と貶めたり、買わない消費者を「風評被害だ」となじったり、逃げない被災者を「子どもが病気になっても良いのか」と、解決策を探そうとせず、互いを責め合っていたら、単なる自己主張の押し付けあい、足の引っ張りあいにとどまっていたでしょう。こういった主張の多くが、意見の異なる他者の考えを否定したうえで、自身の主張を述べています。揚げ足を取る、といった感じでしょうか。そして、その裏には、自身の主張が正しいという、排他的な意識が隠れているようにも思えます。

「My農家を作ろう」は、そんな現状に悲観するばかりではなく、互いに歩み寄り最善策を模索しながらポジティブに取り組めたからこそ、地域ぐるみの団結力と、一定の評価を得ることができたといえます。

私は震災前も震災後も、変わらず北海道産食材をメインに購入しています。セシウムが多量に降下した地域の食品をスーパーで買うことは、ほとんどなくなりました。しかし、放射能汚染の対策に地域ぐるみで取り組み、その活動および結果が私自身で納得できる内容であれば、スーパーではなく、その生産者あるいは生産団体に直接アクセスするのも、選択のひとつとしては悪くないと考えるようになりました。実際にそういう産地の食品を購入するまでには、まだ時間がかかりそうですが、スーパーに並んでいる食べ物が選択肢の全てではなく、他の選択、例えば顔が見える生産者の情熱と取組みで選ぶことも、ひとつの方法になるのかもしれません。

一次産業の脆弱性

メーカーだったら材料を選べるし、好きな場所を選べる。でも農家や漁業、林業もそうですけど、逃げられないんですよね。その土地に縛られちゃっている。そこで何か問題が起きれば、その地域はダメだ、となる。
(略)
地域のブランドに助けられる面もあるけど、悪いときは全部沈む。
(p102)

私の住む北海道十勝では、今や、放射能による影響よりもTPPによる影響の方が懸念されています。それは、十勝の畑作や酪農が、TPPに参加することで致命的なダメージを受けると予想されているからです。

例えば、畑作農業でいえば、何ら対策をほどこさなければ、ビートや小麦のシェアはほぼ無くなり、生産者だけではなく関連産業も壊滅。豆やジャガイモも半値以下になるとされています。別の作物を作れば良いという主張があり、私もはじめはそう思っていましたが、小麦やビートがダメになったら、十勝の輪作体系がくずれます。それでも何とか畑を回そうとすると、必然的に生産する作物が似通ったものになり、供給過多による価格低下が起こります。

直売や地産地消は、畑の近くに大都市があれば良いですが、十勝はせいぜい帯広どまり。小さなパイの奪い合いになることが目に見えています。6次産業化も、日々の作業を行いながら、商品開発や販売ルートの確保、商談への参加ができるのは、一部の恵まれた環境の生産者にとどまります。

私の知人の農家は、農業情勢が今後どうなるかわからないため、予定していた新居の建築を延期しました。それは、もし農業がダメになった場合、その土地を離れる選択も視野に入れているという事です。また、ほかの農家も、「農業がダメになったら温泉でも掘るか!」と冗談めかしく話しています。今、放射能汚染に苦しんでいる方とよく似た状況、つまり、農業で食べていけなくなり、「続けるか、辞めるか」の選択が、日本の農業王国といわれている十勝にさえも、忍び寄ってきています

もちろん、悲観するばかりではなく、新たな付加価値の創造を試みている農家も多くいます。この本のように、立場の違う者が集まり、その地域で独自基準を作り販売するのも、ひとつの方法でしょう。

ベクレル表示は安心か?

放射能量が微量であることに安心して手を伸ばす消費者よりも、「ベクレル表示」が行われることで、あらためてセシウムがあることに否応なく気づかされてしまい、伸ばした手を引っ込めてしまう消費者のほうが多いという現実。
(p208・強調は著者によるもの)

これは、非常に難しいですね。色々な意見があると思われます。
販売する側にとっては、ベクレル値を店頭表示するメリットはあまり無いでしょう。消費者が、「不検出なら買うけれど、セシウムが入っていたら買わない」と考えるのも分かります。そこで、「My農家を作ろう」では、個別のベクレル表示は行なわず、一定の基準を設定しています。ベクレル表示より、農家や関係者の誠意ある対応により地域の消費者の信用を得よう、という選択をしたのです。

ただ、震災前のセシウム値も知ることができると、「過去にもこれだけセシウムが含まれていた」ということが分かり、いわゆる「ゼロベクレル」(「不検出」ではない)が非常に難しいことが分かります。「ゼロベクレル」を盲信することが、いかに自身の首を絞めるか、そして、震災前はどれくらいの放射性物質を食べていたのかも理解できます。放射能汚染を把握するためには、現状把握はもちろん、過去の値にも目を向ける必要があると、個人的には思います。手間はかかりますが・・・^^;

放射能測定は官民の強みを生かそう

機動力や要求される公平性の水準、アナウンスメントのインパクトなどがまったく違う官民は、農産物の放射能検査という課題ひとつとっても、あるべきやり方や得意な手法がそれぞれ異なる。ならば、お互いに得意なことを補完し合う形でやればいい、
(p233)

まさしく、その通りですね。平均化するのではなく、互いの強みを生かすこと。これは、企業やサークルなどの運営にとっても大切な視点です。

少し話しはずれますが、私の職場の上司は、放射能への関心は薄い一方で、被災した漁業者がつくったチャリティー品を購入しました。私の知人は、被災地に労働ボランティアに行きました。またある団体は、一時疎開の受け入れや、北海道の農作物を福島県に寄付しました。私はそれがたまたま放射能測定の委託だったわけですが、それぞれが、自分でできることを模索し、実践した結果です。

ネットで自己主張や批判ばかりしている人を見ると思うのです。「あなたは、現実でどう行動しましたか?」と。

最後に著者は、こう述べています。

グローバルな流通に支えられた消費社会の中で、えてして一般住民からは遠いところにある地域の一次産業の問題を、食という人間にとって不可欠の営みを媒介に、私たち一人一人が自分自身の生活の延長線上で捉えなおしていくこと。そうすることではじめて、3.11以前から存在していた地域の分断、消費者と生産者のあいだの溝を架橋して、放射能問題のみならず、日本の一次産業が抱えている課題をときほぐす道筋が見えてくる。
(p251)

haniwaのヒトコト

「My農家を作ろう」の基準は20Bq/kgですが、値そのものに対する個人的是非は述べません。放射能の値そのものではなく、立場の違う人々がいかにして合意を形成し、ひとつの答えを導き出したかという点こそ、本書の価値だと思うからです。プロジェクトに関わる方それぞれの意見が読める点も良いですね。震災後の食に関心があるすべての方にオススメします。
なお、この本は、Twitterでお知り合いになったカエデさんにご紹介いただきました^^

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