失われつつある耕作技能-「日本農業への正しい絶望法」感想

日本農業への正しい絶望法

ユニークなタイトルが気になり、遅ればせながら手にとってみました。
今後日本の農業が生き残っていくためには耕作技能を高める必要がある点、マスコミや識者がつくる農業ブームは大衆迎合的な幻想である点、JAの矛盾をしてきしている点、そして筆者が農業の問題点を指摘する一方で解決をあきらめているという一種の自虐的な考えは興味深く読めました。

一方で、「日本農業」と冠してはいますが、本州での稲作や畑作について述べている部分が多いです。そのため、北海道の郊外型大規模農業に関わる私にとっては、兼業農家の問題や、農地を宅地に転用する問題など、筆者が指摘する農業問題への実感が沸きにくい部分もありました。これについては、日本の農業政策自体が、本州の稲作を中心に行われてきた側面もあるのかもしれません。

それでは以下に、気になった箇所と私の考えを述べていきます。

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批判と責任

欧米では、名誉革命以来の何百年という歴史の中で民主主義を育ててきた。

 これに対し、日本は、本格的に民主主義を導入してから、たかだか六十年程度の歴史しかない。しかも、民主主義を自ら開発したのではなく、基本的には欧米の模倣だ。私権の主張という模倣しやすい部分のみを模倣し、市民の行政参加という模倣しにくい部分をさぼってしまったとみることができる。また、日本社会は構成員の同質性が高いため、意見をたたかわすという習慣が不足しているという事情も、市民の行政参加をなじみにくくしたかもしれない。

市民は、行政の怠惰を批判するのは好きだが、自身が市民としての責任分担を負うのは嫌う。
(p48-49)

筆者は、違法まがいの農地転用が市民の手で行われているにもかかわらず行政の動きが鈍い事を批判し、それは市民が行政に参加せず責任を分担する事を避けているため、と主張しています。そしてそれは、欧米の民主主義の良い所取りをしてしまった事が原因であると述べています。

付近に都市が無い私にとって農地転用問題は実感が沸きませんが、日本人は意見をたたかわす事に慣れておらず、同質性が高いという指摘は一理あると感じます。例えば、批判の対象は主張や行為であるにも関わらず、人物そのものへの善悪にまで論理が飛躍することもしばしば起こります。学校や職場、家庭などで、誰しも見聞きしたことがあるのではないでしょうか。例えば、ある知事の政策を批判する際、その知事の素行も批判するなど。この現象は、幼い頃から意見を交える経験が不足しているからこそ、飛躍した論理であっても受け入れたり、反論できなかったりするのかもしれません。もっとも、私自身がこのような批判にさらされた場合は、基本的にスルーしています。

危ういイメージ

工業製品の場合、かつては中国産などのアジア製家電を安いだけの粗悪品であるかのように日本人は見下していた。ところが、いまや、アジア製家電が品質面でもあっという間に日本に追いつき追い越した。同じことが農業で起きないと考えるほうが無理だ。
(p64)

この指摘はいち農業従事者として危機迫るものがありますね。
日本産の強みは安全性という主張もありますが、筆者は、今の日本人は安全性や品質の違いを見分けられないのでは、としています。実際に、2011年の福島原発事故後には、多くの国が日本産食品の輸入を禁止しています。農薬やホルモン剤、BSEの問題もあります。筆者は、「イメージ論で国産品を礼賛するのは危険だ」と指摘していますが、これについては私も同意見です。

本当に学ぶべきことは、マスコミや「識者」がしばしば大衆に迎合して虚構を描き、危険な幻想が社会に歯止めなく拡散しうるということではないか。歴史に学ぶというのならば、虚妄に満ちた「農業ブーム」の夢から脱し、厳しい現実を直視するべきだ。
(p146)

最近、1次産業者のあいだでは、6次産業化がブームです。私も実際、関連セミナーを受講したことがありますが、私が見た限り、そこに参加する農業従事者の多くは有機・無農薬・珍しい作物を礼賛しています。確かに、これらは差別化しやすい要素ではありますが、ハイリスク・ローリターンで、成功している農家もほんの一握りといえます。私の知人も、かつては有機農作物を作っていましたが、コストに見合う収入が得られず、規模を縮小し、代わりに慣行農法による作物を増やしました。

筆者は、6次産業化や農商工連携が農業にとって不利益になる場合もあるにも関わらず、失敗例が報道されないのは、マスコミが大衆迎合的な記事を書いて売上げを伸ばそうとしたためとしています。実際、私が参加したセミナーでも、失敗例はほとんど伝えられませんでした。私は性格的に、成功する方法よりも、失敗しない方法(失敗をリカバリーして成功につなげる方法)を知りたいと思っていますので、成功面しかとりあげられない動きは、少々怖くもありますね

JAの危機

組合長が生組合員からの選挙で選ばれているため、借り手となる農家への融資姿勢が甘くなりがちで、しばしば経営悪化した農家でも安易な追加融資が行われるという問題もある。とくに、畜産地域で、JAが経営危機の農家向けに漫然と融資を続け、JAの経営危機に発展しているケースがみられる。
(p171)

JAは預金残高でみずほフィナンシャルグループを上回る。これほどの金融機関がもしも破綻すれば、一国の金融システム全体に悪影響を与えかねない。
(p172)

これは・・・私の住む街でもよく聞かれる話ですね。農村地域は顔と顔のつながりが強く、撤退や売却などの「引導」を渡しにくい面もあるのかもしれません。しかし、度重なる改善を模索・実践してきたにも関わらずいっこうに改善されないのであれば、引導渡しは早いに越した事がありません。

日本農業の生きる道

貿易自由化時代に日本農業が生き残る道は技能集約型農業でしかない。これからは、技能の習得への動機づけに政策を集中するべきだ。
(p108)

筆者がいう耕作技能とはほぼ土作りのことです。また、技能集約型農業の例として、知識と経験を頼りに、少ない面積でありながら高収量・高品質を毎年保ち続けている米農家を紹介しています。技能集約型農業とは総じて小規模で化石エネルギーの依存が低いとのことではありますが、筆者は、技能集約型農業と従来のマニュアル依存型農業は、どちらか一方のみが良いとは述べていません。こだわりの品で選ぶか、コストで選ぶか。金銭や時間によって、どちらも選べたほうが良いでしょう。

消えつつある技能集約型農業をいかに残し伝えていくか、それが本書が投げかけた最大の課題であると感じました。

haniwaのヒトコト

大切なのは宣伝ではなく土作りである、という点は納得できました。しかし、筆者が紹介している実例は、かなりマイノリティなものであるようにも思えました。筆者の主張の根拠が、数値や割合で具体的に示されていれば、より説得力が出たかもしれませんね。

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