全能気分の追及がいじめを生み出す-「いじめの構造」感想(1)

いじめの構造

以前、当ブログでも紹介した書籍「教室内カースト」で本書がとりあげられており、興味も沸いたので読んでみました。本書は骨太な内容で、説得力もあります。本書の感想はひとつの記事で終わりそうにない(長くなりすぎる)ため、何回かに分けて書いてみます。非常に重要な指摘も数多くあるため、引用文もいつもより多いです。

まずは、他人をコントロールして、自分の全能感を味わいたいという欲求がいじめにつながる、という指摘です。

スポンサーリンク

他者をコントロールすることで得られる全能

 本書で問題にするのは、他者をコントロールするかたちを用いた全能筋書(全能の気分を味わうための筋書き)である。多くのいじめは、集団のなかのこすっからい利害計算と、他人を思いどおりにすることを求めるねばねばした情念に貫かれている。この情念の正体は、他人をコントロールするかたちを用いた、全能気分の執拗な追求である。
(p74)

たとえば、世話をする。教育をする。しつける。ケアをする。修復する。和解させる。蘇生させる。
こういうケア・教育系の「する」「させる」情熱でもって、思いどおりにならないはずの他者を思いどおりに「する」ことが、好きでたまらない人たちがいる
このタイプの情熱は、容易に、いじめに転化する。というよりも、しばしばいじめと区別がつかないようなしかたで存在している。いろいろ細かく世話をしたがる情熱を周囲にぷんぷん発散している人は、他人を思いどおりに世話するお好みの筋書きを外されると、悪口を言ったり、嫌がらせをしたりする側にまわるものである
他人を自分が思い描いたイメージどおりに無理矢理変化させようと情熱を傾け、それを当人に拒否されたり、周囲から妨げられたりすると、「おまえが思いどおりにならないせいで、わたしの世界が壊れてしまったではないか」という憎しみでいっぱいになる。「わたしの世界を台無しにしたおまえが悪い。そういうおまえを、台なしにしてやる」というわけである。この思いどおりにならない者への復讐もまた、しばしば教育や世話の名のもとに行われる
(p76-77・強調はhaniwaによる)

いじめの加害者は、いじめの対象にも、喜びや悲しみがあり、彼(彼女)自身の世界を生きているのだ、ということを承知しているからこそ、その他者の存在をまるごと踏みにじり抹殺しようとする。いじめ加害者は、自己の手によって思いのままに壊されていく被害者の悲痛のなかから、(思いどおりにならないはずの)他者を思いどおりにする全能の自己を生きようとする。このような欲望のひな形を、加害者は前もって有しており、それが殴られて顔をゆがめるといった被害者の悲痛によって、現実化される。これがいじめの全能筋書である。
(p77-78・強調は著者による)

この一連の著者の指摘は非常に納得できます。

筆者は、他者をコントロールしたくなる理由を、「不全感を初期条件とする反転の感覚」としています。本書では暴力グループのメンバー(中学生)が口にする漠然とした「むかつき」が例としてあげられていますが、不全感の原因について突っ込んだ記述はみられません。

また、暴力やいじめにかぎらず、暴走、セックス、スポーツ、アルコール、社会的地位の獲得、蓄財、散財、仕事、ケア、苦行、摂食、買い物、自殺などありとあらゆるもののかたちがも全能筋書に流用されうるともしています。

しかし、常に自分の思い通りになることは無く、多くの人は何らかの不全感を抱えています。食事や買い物で解消できる人もいれば、他者をコントロールすることで解消している人もいるという事でしょうか。

自分の主張と反する主張をすると態度が豹変したり、相手を必要以上に悪く言う人もWeb上では特に多く見かけますが、これも、他者を思い通りにしたいという欲求が背景にあるのかもしれません。

いじめ加害者の欲求追求のままにいじめられてはたまったものではありません。いじめ全能筋書への対策はどうすれば良いのでしょうか。

以下に続きます。

いじめの全能筋書への対策は、一気に相手をおそれさせるような方法を用いる

損をするならいじめ続けない

いじめのハードケースのうちかなりの部分は、親や教員などの「強い者」から注意されたときは、いったんは退いている。「自分が損をするかもしれない」と予期すると迅速に行動をとめて様子を見る。そして「石橋をたたき」ながら、少しずついじめを再開していく。「大丈夫」となると、「チクられ」た怒り-全能はずされ憤怒-も加わっていじめはエスカレートする。しかも、そのころには親や教員の力は「思ったほどではない」という自信もついている。(略)ほとんどすべてのいじめは、安全確認済みで行われている。
(p139)

中途半端な反抗ではなく、一気に相手をおそれさせる

たとえば、いじめられる者はしばしば、部分的-中途半端に迫害者とずるずると「仲良く」しながら少しずつ状況を改善しようとする。(略)部分的に避ける素振りをするか、あるいは受動攻撃的な弱々しい反抗(たとえばミスによる「チクリ」、奉仕の非効率化、釣り銭の着服など)をする。これは、危険なことである。
いじめ加害者は、それを慢性的な裏切りと感じ、(略)被害者を痛めつけて、逃げないように、従順であるように「しつける」作業(手段的行為)と、「破壊神と崩れ落ちる生贄」の全能体験とを、圧縮して一石二鳥で行うようになる。
(中略)
だが、一気に相手をおそれさせるようなやりかたで、「警察を呼ぶぞ」「訴えるぞ」と抗議し、あるいは実際に法的な告発をすれば、相手は意外なほど簡単に手を引き、別のターゲットか、いじめ以外の全能気分の様式を探しはじめただろう(しかし学校共同体主義は、個人が公権力を盾にして「友だち」や「先生」から自由になろうとすることを、何よりも嫌悪する)。
(p103-104)

いじめることによる報復や不利益が無いと分かると、いじめがエスカレートする構図も、姑の嫁いびりや、夫の妻へのDV、上司の部下へのパワハラなど、学校以外の多くの場所でもみられます。

著者は、いじめ加害者に損をさせたり、いじめが損につながると加害者に認識させたりする際は、いじめ被害者が泣き寝入りしたり、いじめ加害者への小さな仕返しではなく、警察に突き出すといった「一気に相手をおそれさせるようなやりかた」を用いることが効果的と提案しています。

いじめ加害者に損をさせる事は、効果的なやり方です。書籍「フリーライダー」でも、フリーライド(ただ乗り)する人を無くす方法として、フリーライダー以外の人がトクする制度を作る事が紹介されていました。

しかし、いじめへの対策が「一気に相手をおそれさせるようなやりかた」でも、学校ではこの実践は難しいと著者は言います。

次回は、学校では、何故そのような方法ができないかについて、書いていきます。

haniwaのヒトコト

全能感を得るために他者をコントロールし従わない者をいじめるという心理状態は健全ではないといって良いでしょう。こういう人は、何らかの不全感、たとえばDVやネグレクトなどにより親の愛情を感じにくい環境で育ったり、配偶者が家事育児を一切行わず家庭では家政婦のような扱いを受けているなど、他人による何らかの問題や不満をかかえながら生活しているのかもしれません。

スポンサーリンク